夢で再会するということ

2011年の東日本大震災から10年が経つ。

震災で亡くなった家族が夢に出てきてくれたというテレビ番組があった。

今年は、震災から10年という節目。

今も視聴者からの夢の話を募集している。

亡くなった人が夢に出てくるということは何度か聞いたことがある。

 

 

 

フランス在住の作家、辻仁成氏も日記に書かれてあるように、

「夢枕に立つ」ということを経験している人もいることは知っていた。

 

番組は、6歳の娘さんを震災で亡くしたお母さんの話から始まった。

6歳の女の子は、幼稚園の送迎バスで帰宅途中に震災で犠牲になった。

遺品が焼け焦げた靴だった。

なぜ焼けた後なのか番組では語られていないが、お母さんの穏やかな表情と声が救いでした。

夢に焦点を当てたテーマのため、幼稚園の送迎バスがなぜ横転して黒焦げになっているのかなど、詳細はほとんど語られていない。

後でご遺族が裁判をされていたこともネットのニュースで知った。

 

このお母さんは、なぜ亡くなった娘さんだけがバスの外に出られていたのかと疑問に思っていたそう。

半年後に、夢で娘さんが教えてくれたそうです。

その後も夢で娘さんと再会をされているお母さん。

娘さんがピンク色の浴衣を着て、ニコニコしている姿だった。

「ピンクの浴衣とか着せたこともなかったのに、夢の中でよく似合っていた」と話されていた。

ある時は、広いロビーのようなところに自分が立っていて、娘さんがこちらに近づいてきたが、透明の板のようなものがあって、娘が近くにいるのに、触れることができなかったという夢の話もされていた。

 

亡くなった娘さんの誕生日が来るときに毎年何を買ってあげようかとお母さんは考えているとのこと。

ある時の夢の中で、娘さんの姿は見えたわけではないけれど、娘さんがいるなという気配は感じられて、靴が欲しいと言ってるような感覚があった。そうか、靴なんだって思った。

ご主人の方でも、同じ時期に夢で娘さんと会っていて、夢の中で娘さんが靴が欲しいとご主人に言ったそうだ。

 

 

この番組では、視聴者からの手紙も紹介していた。

「父が犠牲になった犬と一緒に、木製の温かみのある階段をゆっくり上がっていた。父の表情は穏やかに微笑んでいた。この夢を見て父が本当に旅立ったとわかった」という内容だった。

 

 

この階段とか、広いロビーとか、象徴のような気がする。

 

 

私は、父が亡くなる1、2ヶ月前に、父と夢で会いました。

父は難病で寝たきりのため、療養型病院で9ヶ月間入院していた。

新型コロナのせいで面会ができなくて、9ヶ月の入院中、実際に面会できただのは

数える程度。

父が携帯電話を持てて電話ができるうちは電話で話すようにしたけれど、それも亡くなる4ヶ月前からは携帯電話も持てない、マスク型呼吸器をひとときも外せないほど弱っていった。

電話で声を聞けないし、どうしているのか気がかりだった。

マスク型呼吸器も四六時中つけていなければならず、以前のように

10分間ほど外して会話したり、食事をすることもできなくなっていた。

そんな時、去年の10月か11月ごろだったか、亡くなる1、2ヶ月前に、

夢の中で父と会えた。

夢の中で私は、父にやっと会えたという安堵や喜びの気持ちがあった。

 

そこは階段の踊り場だった。

 

父が階段の踊り場で背中を向けて立っていて、こっちを振り向いて、私は階段を登って近づいた。

周りは薄暗いけど、陰気とか怖いとかという感じはなかった。

静かな感じ。夜明け前とか、全てのものが寝静まっている時のような当たり前の感じ。

父が私に振り返るこの仕草は、私が九州へ帰省するといつも父が最寄りの駅まで迎えにきてくれていて、車を駐車場へ入れた後に、私を迎えるために駅構内で立って待っている時の姿と同じようだった。

 

二人でさらに階段を一緒に登り切った。

ヨーロッパにあるような建物の中のようなイメージ。

大きな窓もあるけれども、明るい太陽とかそういう光もなくて、静かな感じ。

階段の踊り場から、カーブがあってまた階段を登りきると

ベンチがあったので、そこで二人で腰をかけた。

そこまでの一連の動きは、戸惑いもなく、自然とそういう動作になっていた。

閉館した後の美術館とか大学とかのようなイメージ。他に誰もいなくて

私たち二人だけがそこにいることを許されてる感じ。

父は実際は病院で寝たきりで痩せていて、頭髪は2年ほど前から白髪が増えているのに、

夢の中の父は、痩せこけてなくて、髪の毛も黒くて、白髪はなかった。

目も元気な時の父の目だった。

 

父の身につけているものは、夏場に家で過ごす白の寝巻きの半袖シャツとステテコ姿だった。

父が一番リラックスしている格好の時の姿の服装だった。

入院中の病院から支給されている緑色の浴衣姿ではなかった。

 

いつものように、父の話を聞かずに私は自分のことを話だす。

「お父さん、長生きしてよ。私のために。」と訴えた。

それを聞いて父は、涙を流していた。

そして目が覚めた後も、リアルな感じがあったので、

あ、これは、普通の夢とは違ったんだなというのが自分なりにわかった。

こうやって、父が亡くなる前に夢で会えたのはこれが最初で最後だった。

夢を見ている状態は、繋がりやすいということを聞いたことがある。

父と夢と会えたことで、なんとなく自分の気持ちが穏やかになれた。

 

私は夢で父に会えた手応えがあったから、しばらく経った後に父との面会時、

「お父さん、夢で会えたね」と伝えたけど、父は日々苦しい状態だったからだろう、

落ち着いて回想することもできなかったのだろう。

私の問いかけには、頷いてなかったけれど、

 

きっと、父の魂と私の魂は夢の中で会ってたと思っている。

そう思いたいという感じ。

 

父は難病になる前、実際に元気に過ごしていた時はほとんど涙を見せない人だったけれど、

自分の体が思うように動かなくなり、そろそろ入院しないといけないだろうと思った時だと思うけれど、涙を流していた。

お別れが近いということを悟っていたのだと思う。

でも、私たち家族には、自宅で倒れる時まで、「力が入らない」というだけで、

他に「しんどい、呼吸が苦しい、だるい」などの症状は話さなかった。

 

2015年だったか、ブライアンワイス氏の前世療法の本を読んでから、自分で過去生を見てみたくて、イメージトレーニングとか寝る前の自己催眠とかトライしても、ほとんど見れなくて諦めているが、この夢の中で会うことに関しては、こうも父の姿とか覚えていられるもんだなと思う。

ある意味、夢は誰にでも、亡くなった人と会えるチャンスがあるので、印象的な夢を見たらノートに書き留めておくといいらしい。

後で振り返ると、そこに自分の本当に望んでいることや、亡くなった近い人からのメッセージが含まれているかもしれない。

夢は、意識してなければ目が覚めた時にはほとんど忘れている。

しかし目が覚めた直後に意識して思い出せば、割とぼんやりと紡ぎ出すことができるようになってくる。

断片的だったり、姿は見えないけど確かに「あの人ね」という気配でわかったり。

これは過去生を見る前世療法と似てて、過去生での容姿や時代背景、国も違うけれど、

自分は相手ことを「あの人ね」と認識できる状態。

テレパシー的なものなのか、魂レベルでは、姿はないけれどわかるっていうことなのかもしれない。

 

 

 

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 いじょう。