【6月7日(水)】
天気は晴れ。
風がひんやりていた。
同じ部屋だった2人の女性は、既に出発していた。
いつもより寝坊した。
まだ部屋でウトウトしているクラウディアにまたねと告げて1人で歩き出した。
アルベルゲの隣の教会。
風と鳥の声。
動画です。↓
この運河沿いの気持ちは歩いているとき幸せな気持ちになった。
鳥の声、風にゆれる木々の音、カエルの鳴き声が聞こえた。
カスティーリャ運河は、18世紀中頃から19世紀前半にかけて行われた土木事業を代表する建造物です。
運河は全長207kmにおよび、全行程は3つに分けられます。この運河沿いには、40の水門、60の橋、水道橋も残っています。
1時間半ほど歩くと、Fromistaという町に入った。
バルに入ってオレンジジュースを飲んだ。
地元の人ばかりで、巡礼姿の男性が1人いただけだった。
巡礼を開始した町であるサンジャンピエドポーで買った巡礼手帳。
スタンプが増えた。
バルや教会で機会があればハンコをもらうようにしていた。
Fromistaでは有名なサンマルティン教会があった。
1066年に建設された教会。その後、改修され、最も完全に保存されているロマネスク建築のひとつ。教会のひさしに309の彫刻がある。
町の中を散策してみた。
古びた教会を発見。
教会の屋根にはいつもコウノトリがいる。
サン・ペドロ教会。
教会の向かいにはパン屋さん。
Integral は、全粒粉という意味。
Sin Azucar は、砂糖不使用という意味。
一見、甘そうなのものばかりだけど、材料にこだわっているものもある。
オーナーの奥さんも優しい感じ。
ドーナツ、クロワッサン、アーモンドクッキーを買って、店の前のベンチで遅めの朝食。全部で2.5ユーロ。美味しかった。
サン・ペドロ教会。
教会の中では、アメリカ人の巡礼者夫婦がいただけで、他に誰もいない。
巡礼者の少ない町を抜けて、巡礼者の少ない道を歩き出す。
人がいない。
フロミスタから3kmほど歩くと、Poblacion de Camposという町に入った。
人がいない。
人を発見。
日本語で「道」と書いてある。
このおじさん、どんな人なんだろう。
テーブルに陳列されたブレスレットをみていると、思わず手に取りたくなる。
惹かれたものが2つあった。水色のターコイズの石のブレスレットと、深いブルーのラピスラズリのブレスレット。
「いくら?」と聞くと、
「目一杯ディスカウントして、ラピスラズリは7ユーロ。ターコイズは5ユーロ」言われた。
フランスのバイヨンヌでみたブレスレットに比べたら、かなり良心的な値段設定だった。
どっちにしようかなあと考えていたらおじさんが、
「あなたは深いブルー。 ブルーは喉のチャクラを表し、コミュニケーションのこと。」
私「何で私が深いブルーなの?」
おじさん「あなたが今着ているTシャツが深いブルー色。リュックサックもブルー色。」
私はピンクのTシャツとブルーのTシャツを毎日交互に洗濯して着ていたので、今日はたまたまブルーのTシャツだった。
まったく意識してなかった。
なんとなく「ラピスラズリ」という言葉に惹かれるし、深いブルーを選んだ。
左手首か右手首、どちらにつけるか聞かれた。
迷っていたら、
「自分の心に聞きなさい」と言われた。
うーん。
腕時計も左手首だから、左手首の方が楽なので、左にした。
「左は受け取ることを意味し、右は与えることを意味する」と教えてくれた。
おじさんは、私の手首の太さに合わせてシルクの紐を調節し、紐の先をライターの火であぶって処理し完成させた。
シルクの紐は頑丈で切れない。
おじさんはバルセロナ出身。
大きな都市よりも、今いる小さな町が好きなので移住したそうだ。
家族の写真も見せてくれた。
私が立ち去るとき、
「マントラを唱えながらこのブレスレットを編んでいるんだよ」と教えてくれた。
マントラのパワーが込められたブレスレット。旅の安全を見守ってくれるだろう。
矢印通りに歩いて行くと、アルベルゲがあった。
バルで一休みする。
暑さでバテているときはバルではレモンビールを頼んだ。
このアルベルゲは動物好きなオーナーのようで、庭には放し飼いのロバやあひるなどがいた。
後ろを振り向くがやっぱり人はほとんどいない。
車もほとんど走っていない。
Villacazar de sirgaという町に入った。
今日はこの町で泊まる。
扉は閉まっていて入れなかった。
バラ窓が印象的な教会だった。
最近、お腹が空かないうちにペリグリーノメヌーを食べることや外食が続いたので、今日はもう何も食べずに睡眠を重視することにした。
メセタの大地は、乾燥していて日中の陽射しがきついが、朝晩は肌寒いこともある。
クラウディアに教えてもらってからターメリック粉をしばらく飲み続けて鼻炎の症状は治っていた。
しかし、最近の気温差もあり疲れているのかもしれない。また鼻炎のような症状がでてきた。
アルベルゲのベッドで昼寝した。
ベッドでゴロゴロしながらティッシュで鼻をかんでる私を心配したのか、隣のおばさんがメンソレータムのような香りがするクリームを取り出し、
「鼻の下に塗ってごらん」と手渡してくれた。
すぐに鼻の通りが楽になった。
ありがとうと伝えた。
時々、緑茶を飲み、ターメリック粉を飲み、ビタミン剤も飲んだりした。
後で振り返ると、仕事を退職直後からずっと続いていた3ヶ月ほどの鼻炎。
巡礼の後半から鼻炎の症状はすっかり治っていた。
出発前に少し心配だったが、三ヶ月の旅でお腹を壊すことは一度もなかった。
この私営のアルベルゲではまた日本人70代のSさんと同じだった。
ご飯食べに行くけどどうする?と声をかけてくださった。
最近食べ過ぎ気味なので、今晩は夕食を食べないことにしたと伝えた。
この70代のSさんとは、その後もよく遭遇した。
これまで【Day 16】【Day 17】【Day18】【Day19】の4回会ったが、
その後も、なんでこんなところに?という不思議なタイミングで遭遇した。
私よりも背が小さくて、小柄な高齢の男性だった。
初めてお会いした時に (Day 16)、Sさんはご家族やお孫さんのことなど写真を見せながらお話をしてくださったが、出身地も居住地も違い、ほとんど共通点もなく、世代も違う日本人同士。
当然のごとく、「運命の人」という親近感も特になく・・・
カミーノの道で、通りすがり、出会い、挨拶したりした人たち。
Sさんのように何故か何度も遭遇する人もいれば、二度と遭遇しなかった人もいた。
Sさんとは過去生で出会ってたのかもしれない。
カミーノは、不思議。
全てが用意されていたのだろうかって後になって思うことが時々あった。
【アルベルゲ】
・8ユーロ
当時の日記です