巡礼の後ろ姿

巡礼中に出会った仲間の一人から、当時の巡礼路を歩いている私の後ろ姿の写真を送ってくれた。

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この写真を送ってくれた彼女との出会いは、

2017年の5月にスペイン巡礼を歩き始めて6日目のビジャマヨール・デ・モンハルディンという街で泊まることにした日。

そこには公営のアルベルゲと私営のアルベルゲが近くにあった。

公営のアルベルゲの受付はのんびりしていることが多く、ここも同様に巡礼者の受付の順番待ちの列ができていた。

暑い中、いつ部屋の中に入れるかわからないし、列もどこが最後尾かわからないので

私営のアルベルゲに行ってみた。

そこにはすでに受付を終えたアジア人の女性が「ここのアルベルゲは空いてるよ」と笑顔で教えてくれた。

テリーという名前の台湾の女性で、私と同い年ということがわかった。

 

巡礼中に書いていたブログの通り、彼女は1ヶ月の休みをやっともらうことができて、パリ経由で巡礼をスタートさせていた。彼女と私のゴールの予定日は10日以上違うため、先を急ぐ彼女のペースに私の体力が足りず、3日間だけ一緒に歩いた。

 

 

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当時のことを思い出すために私もPC内のアルバムを見返した。

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写真の左から台湾のテリー、西アフリカからきたジェイミー、そして日本の私。

みんな一人で巡礼に来て、おしゃべりでもなくて、マイペースな感じが、似た者同士っぽくて、居心地が楽に感じる。

 

翌日は時間もバラバラに出発したけれど、道の途中で再会して、テリーと私はまた一緒に歩いた。

けれども1日30kmを歩かないと限られている日数でゴールできないテリーとは、3日目で彼女を見送ることにした。

私の体力では1日30kmは無理なのと、約40日(1日20kmほど)を設定していたからだ。

 

彼女と別れた後、

巡礼の途中で、テリーにメールをしようかと思ってたんだけど、

なかなか書けずに時が過ぎた。

「今はどこら辺りを歩いているのか」「もうゴールしたのか」とか

メールしてもよかったと思う。

 

しかし、自分も毎日が割と必死だったこと、

マイペースな彼女とわかっていたので、メールしないでいた。

 

そしてやっと先日、巡礼から1年半が経とうとしている時にメールを書いた。

(遅すぎるやろと自分でツッコむべきか)

自分たちの写真を添付すれば、必ずテリーは思い出すだろう。

すると、すぐに彼女から私の巡礼路の後ろ姿の写真を数枚メールに添付して送り返してくれた。

そして彼女のメールには、

「またいつか、今度は別のカミーノの道で再会するでしょう?」 

という言葉も添えてあった。

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この写真を見て思い出した。

彼女と歩いている時、彼女はいつも私の後ろを歩いていた。

二人で並んで歩くことはなかった。

その方が自分のペースを保てて歩きやすかったのだろう。

でも後ろから私の写真を撮っていたとは知らなかった。

この自分の後ろ姿を今見て思うと、まるで呑気に歩いているかのようだ、、、

まだこの先に待っている過酷すぎる酷暑の道や、雷が鳴り響く道や、真っ暗な時間などがあるとは知らなかった。

  

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 彼女は足に豆をたくさん作っていた。私も豆ができていたので、休憩時は靴を脱いで足を乾燥させた。

彼女は、休憩する時はバルよりも教会を好んだ。

静かな教会の敷地で過ごすことを好んだ。

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翌日の宿は、Vianaという街で泊まった。

そこには大きな教会があり、天井は果てしなく高く感じ、内装は豪華な佇まいだった。

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初めてスペインのバルを楽しんだ。

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お店の人も親切で明るく、テリーとのおしゃべりも楽しくて笑った。

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そしてまた翌日には、ログローニョという街を通り過ぎ、Navaretteという街で私は泊まることにした。

テリーは次の街へ向けて一人進んだ。

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おみやげ物屋で巡礼手帳にスタンプも押してもらった。この時もテリーに写真を撮られているのは気づかなかった。

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この教会の中も豪華絢爛だった。

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このおばあさんが可愛すぎて一緒にテリーに写真を撮ってもらった。

ここでお揃いのお土産を購入した。

 

テリーからの写真や、当時の写真を見て、私からもさらに別の写真をテリーに送ってあげた。

きっと喜ぶだろう。

時々、こうやって巡礼の時間を思い出す人がほとんどかもしれない。

行ってよかったと思う。

すんごくしんどい道や、真っ暗な早朝で怖い時間もあったけれど、今、日本にいて思い出すのは、巡礼で出会った人たちとの笑顔の写真を見ると幸せを感じること。

何も共通点がない、ただ巡礼路を歩いている同志ということだけで、笑顔で「ブエンカミーノ」と挨拶をし、時には助け合い、時には共に食事をし、同じ宿で過ごす。

ほんの一時の時間を過ごしたけれど、印象に残った人たちがいる。

こうやって写真を見返せるように、なるべく写真を撮っておいてよかったと思う。

私の場合、記憶が薄れるから、写真で残しておきたいタイプなのだと思う。

写真を残さなかったとしても、じっくり瞑想すれば思い返せるかもしれない。

でも、写真は自分の後ろ姿も残してくれるので、意外な驚きと喜び。

テリーにお礼を伝えた。