『逢沢りく』ほしよりこ著を読んでみた
こんにちは。
「号泣した」「漫画で泣いたの初めて」などの評価をネットで読み、
漫画「逢沢りく」を読んでみた。
途中で読むのをやめることができませんでした。
おかげでヨガのレッスンに間に合わず、レッスンをキャンセルしてしまいました。
ということで、どんな本(漫画)かは、実際に手にとって読んでよかった。
中学生の一人っ子の女の子「りく」のおはなし。
絵のタッチが鉛筆画で独特の世界。
セリフまで鉛筆の手書き。
変わった両親のもとで孤独感を感じている少女が、関西の親戚の家に身を置き、学校に通学し生活していくうち、化学反応が起きていく。
少女の母親の性格は、支配的、完璧主義、人に本心を打ち明けられない。
娘には数ヶ月ほど大嫌いな関西の親戚の大おばさんの家に居候させることにした。
母親は自分の家族との心の通わせよりも、自分自身の心の傷を見つめるよりも、
資格をとって、周りから羨ましがられるキャリアウーマンを目指す。
少女は自分の感情を表現する方法をいつの頃からかわからなくなっていて、
嘘泣きはできるが、自分の本当の感情がわからない。
悲しいって何?
なぜみんなは悲しいと涙を流すの?
少女は嘘泣きで涙を流すことはできても、悲しいという感情がわからない。
小鳥、子供
ジーンときます。
小鳥、居候先の子供。
優しさは愛。愛にはいろんな形がある
小学生の頃に関西から東北へ転校し、中学生になって東北から関西に転校した自分を思い出した(笑)
東北で7年過ごした。
東北に親友ができた。
ずっと東北で暮らし、親友たちと一緒に成長していくものと思っていた。
ある日、親の会社の都合で関西へ引っ越すことが決まった。
ずっと東北にいたかった。親友と離れるのが嫌だった。
そして関西の中学校に転校生として通い始めた。
その時の関西人への戸惑いは、少女りくに比べたら取るに足らないけど、共感できる部分はある。
なんで関西人て、人との間に壁を作らず、さらっとテンポよく話しかけてくるのだろう、
一人で歩きたいだけなのに、同級生は「どうしたん?」とかまってくるんだろう、
吉本新喜劇の笑いのセンスがわからず、面白くないと思う自分が変なのだろうかと気にしたり。
関西は、東北の同級生たちと過ごした距離感に比べると、人に対しての距離感を縮めてくるのが早い。
そして、自分の思っていることを言葉やわかりやすい態度で表現する子が多かった。
どことなく、そういう距離感で接する関西人の子たちは、私から見ると大人に見えてきた。
東北の控えめな気遣いがある距離感も優しさの一つであり、
関西の物怖じしない、誰とでも初めから知り合いだったかのようにくる距離感も、その人が持つ愛の形なのかも。
関西人の距離感は、そっとしておいて欲しい時には、暑苦しく、土足でドカドカ踏み込まれる感じがして、嫌な人は多いかもしれない。
関西人の親しみやすさって、押し付けがましい自己愛と思われる人も多いのかもしれない。
でも、このわかりやすい自己愛が、時には誰かのいい薬になることもある。
「自分を愛してないと、人を愛せない」という言葉は嘘ではないと思う。
「自分」も「他者」も突き詰めれば一つのもの。同じものだから。
どちらかを愛して、どちらかを愛さないというのは成り立たない。
どちらにも愛があるということ。
どちらも愛であるということ。
自分の感情を開放してもいいんだよ、弱い自分を受け入れてあげること、愛すること、
そのままのありのままの自分でいいんだよ、許してあげること。
大人だって、間違いを犯すことはあるんだよ。許してあげること。
母親だって、そうすることしかできなかったんだよ。許してあげること。
泣いたっていいんだよ。
泣けない自分でもいいんだよ。
嘘泣きしかできない自分でもいいんだよ。
そんな自分を愛してあげること。
小鳥も、子供も、そのままありのまま生きていて、ばい菌がいっぱいあるからとか、ジャッジしない。
嘘泣きしかできない少女を、子供は大好きなお姉ちゃんとして慕ってくる。
ありのままのそのままのお姉ちゃんを好きになる子供の愛って大きい。
。。。。というようなことを感じました。
大きな大きな愛のお話しだったとは。。。
愛の力すごい。
そしてどこにでも愛は身近にある。
愛がないと思うのは、自分が心を閉じてしまっているから。
愛は探さなくても自分のなかに既にあるし生まれる前からあるものという。
愛しかないのに、形あるもの、いろんな情報に惑わされて、忘れているだけらしい。
人間は、一つの場所でじーーーーーーーーーーと呼吸をして、食べて、寝るだけで気づけるほど魂が成長できているとは限らない。
歩いて、動いて、働いて、環境を変えて、友達がいて、家族がいて、思い通りにいかないことがあって、もっとこうなりたい、もっとこうしたいという欲も出てくるし、こんなことしたくない、あんなことやりたくないという感情も出てくる。
そう生きているうちに、少しずつ思い出し、気づき、大きな自分に近づいたりしていくものかもしれません。
大おばさんと嫁の冬美さんの会話がツボです。
少女りくが、関西人の会話を拒絶していたのに、だんだんと空気のように感じ始めて、
いつしか自分も関西人からのボケに突っ込みかけているところとか、彼女の変化がさらっと描かれてます。
恐るべし、関西人。
いじょう。