老いと自分

こんにちは。

 

「ボケ」についての本を読みました。

 タイトルは「家族よ、ボケと闘うな!」です。

「患者よ、がんと闘うな」の著書、近藤誠氏もでてきます。

(その近藤誠氏とは同姓同名の別人であり、愛媛県西条市生まれの人。介護保険行政に携わり、全国介護相談・地域づくりの代表を務める方)

 

ボケ(痴呆、認知症)は、単なる老化なのか、それとも病気なのか。

身内のボケ、本人も家族も「不安」があるはずです。

でも、この本を読むと、面白いエピソードで笑いながら、楽しく理解でき、

どういう行動が大切なのか、すっきりとすることができました。

 

 

家族よ、ボケと闘うな!  誤診・誤処方だらけの認知症医療

家族よ、ボケと闘うな! 誤診・誤処方だらけの認知症医療

 

 

認知症には

 

 

など大きくわけて4つの種類があります。

アルツハイマー認知症

海馬の病変による記憶障害が顕著な認知症で、発症時期がわからないほど、物忘れから徐々に進行する。

レビー小体型認知症

主に後頭用の血流低下により、幻視、睡眠時行動異常、小刻み歩行、うつなどの症状を主とする。診断が難しい病気。

脳血管性認知症

脳梗塞脳出血などのあとに起こる認知症。突然発症し、段階的に進行する。無気力、無表情、自発性の低下などがある。

前頭側型認知症

前頭葉や側頭葉の萎縮から起こる認知症。同じ行動や言葉を繰り返したり、万引きなど逸脱行為の他、無気力で引きこもる人も。

 

身内が認知症になったとき、周りの家族がパニックになって騒ぐわりには、本人は困っていなかったりする。

著者である医師の長尾和宏氏と近藤誠氏の言葉で綴られています。

目指すのは、誰もが認知症を正しく理解し、「認知症になってもいいよ」という社会作り、環境作りが必要だと思う。

 

現在の医療は、「早期発見・早期不安」になっている。

「不安」になることで、何一ついいことは生まれない。

医師に薬の処方を無理矢理お願いしたり、必要のない治療をしてもらったり、

薬づけになり、よけいに認知症を悪化させたりも考えられる。

 

そして、認知症は、どの診療科にいくべきか。

まったく元気のない老人が病院にやってきたとする。

精神科は「うつ病」と診断した。

神経内科は「パーキンソン病」と診断した。

認知症専門医は「レビー小体型ないしアルツハイマー認知症」と診断した。

脳外科医は「多発性脳梗塞」と診断した。

このように、診断名は1つではなく、医者によって変わったり、また病気の時期によっても変わったり、脳の画像診断ひとつとっても医者が間違えることはあるそうです。

 

境界もあいまいで、診断が難しく、認知症の本人と家族が、どうしたいのか、という方向によってもいろいろと選択が変わってきます。

 

  • 「治そう」ではなく「生活を支えよう」とする医師を選ぶこと。
  • 本人であれ家族であれまずは否定しないで話を傾聴してくれる医師を選ぶこと。
  • 症状だけを聞いてすぐに服薬を開始する先生はアウト。解決にならない。

 

残念ながら、脳の萎縮が改善したり、死んでしまった脳細胞が蘇ることはありません。

そして「治る」「良くなる」「止まる」これらの言葉は人によって定義が違う。

だから問題にすべきは脳の画像ではなく、周辺症状なのです。

 

 

診断や薬の処方を間違えないために、家族がすべきこと

家族の説明力、医者の傾聴力が重要。

認知症とたたかう前に、まず、家族が本人を知ること。

この意識を持っているかどうかで、対応はぜんぜん違ってくる。

「うちの母が認知症で大変なんです」と言われても、

医者も診断のしようがありません。

普段の症状をメモしておき、診察時に持って行くこと。

ありのままに書いたメモ、本人が話した言葉をそのままメモしておく。

家族はポストイットを常に持ち歩き、本人が何か言ったときや、いつもと違う行動に出た時に、それをメモして冷蔵庫や戸棚にぺたぺた貼っておく。

それを医者に渡して症状を説明するだけで、診断や薬の処方を間違える確率は格段に減る。

 

現代の環境が認知症の増加の一因だという意見

独居老人600万人という数字と、認知症の増加は切り離せない事態。

話し相手がいない。

面倒くさいコミュニケーションがない。

動かないと筋力が低下し、疲れやすくなり、ますます外出するのが億劫になります。

社会的刺激を受けないと、脳を使うことが減って、認知機能の低下が加速します。

アメリカのスノウドン博士の研究で、

認知症にならない修道女たちの脳を研究したところ、集団生活のなかで、活動性が保たれていること、常に言葉に触れていること、聖書を読み、日記をつけている毎日だった。生涯現役で修道女として働き、充実した日常が最期まで保証されていた。

大切なのは、暮らしそのものであり、環境だと思う。

そして「不安」を取り除くこと。

 

 

日本の介護では、施設が個室、ユニット型に方向転換されたが、個室やユニットに分けて考えてはいけない。

暮らしぶりを考えるとき、いかに活動性を保つ工夫をするか、

本人の持っている身体能力をいかに使い切ってもうらかが、

介護の本質でなければならない。

介護とは、単なるお世話ではありません。

 

老いる」とは、「心があきらめること」

不安にさせないこと、

「快さ」を「護る」ことが「快護(かいご)」。

できることを励みに変えていくこと。

 

「徘徊しても大丈夫なまちづくり」

「治さなくてもよい」

「ボケは怖くありません」

家族や介護職だけが進化しているわけではない。

銀行、農協、スーパー、生協、郵便局、生命会社、マンション、行政、警察、消防署、学校、地域のあらゆるところで、認知症サポーターが誕生しています。

 

わたしのこと

私の祖母がボケて、亡くなるまで5年間程、孫である私が、彼女の自宅から一番近くの距離に住んでいました。

時々、私の部屋に遊びにきては、昔の話をしてくれたり、

一緒にご飯を食べたりしました。

「物盗られ妄想」もありました。

マンションの管理人が、自分が留守にしている間に部屋に勝手に入っていたという妄想でした。マンションの管理人の靴が玄関にあったから何だろうと思ったというのでした。

その靴がその後、どこへいったかなど聞いても、耳に入らない様子。

とにかく、管理人が侵入したんだという一方的な話をきかされてただけでした。

祖母の被害妄想はそれだけでした。

だけど実際に、業者をよんで、部屋の全てのドアに鍵をつけました。

行動力のある人だったので、そこまでするんだと、傍観してました。

 

本の中では、「嫁が財布を盗った」というおばあさんの被害妄想の原因も説明されています。

そういう力関係も働いているのかあと理解できてすっきりました。

 

認知症といっても、すべてがわからなくなることでもなく、心は、そのまま生きている。

認知症だからって、なんでもかんでも言えば、本人も傷つき、心は悲しみます。

バカにされたり、うっとおしそうにされると、そういう空気ほど伝わりやすいと思います。

弱者の立場、寝たきりの立場のものほど、周りの人の態度や気持ちが見えたりするのです。

理由はわかりません。

でも、自分も病気で入院中に、ベッドで毎日過していると、

看護師さんや医師たちの性格とかがよく見えました。

 

自分の老いのことも不安はあります。

でも不安になっても仕方ないし、恐れることを引き寄せてしまうそうです。

だから恐れることは、したくない。

 

このまえ、反復横跳びをしてみたら、びっくりするほど出来なくて驚きました(汗)

皆さんも体力テストとかで、昔やったことがあると思います。

その時の記憶とまったく異なる自分の身体に愕然としました。

でも、数日続けたら、ちゃんと反復横跳びらしい動きができるようになりました。

反復横跳びをしたのは、おそらく30年振りじゃないでしょうか。

それくらい、やってませんでした。

ヨガのアーサナや、スノーボードやスキー、ジョギング、山歩きなど、

体を動かす事はなるべくやってきましたが、反復横跳びとか、たまにやったほうがいいんだと思いました。

自分の身体の衰え具合が、よくよくわかりました(笑)

少しずつ続けたら、人間の体はちゃんと機能してくれます。

やはり、使わなくなると、どんどん衰えるばかり。

 

時々、でんぐり返り、逆立ちなど、普段しないことも刺激になります。

ハンモックヨガ、ブランコなど、三半規管を刺激するような動きをすると、

子供の頃はなんでもなかったのに、老いた体にはびっくりします。

でも何度かしていると、体は軽やかになり、元気に明るい気持ちになったりします。

 

人間の体は、動くためにできているそうです。

だから現代の、動かない、歩かない、重いものを持たないなどの便利な環境では、

さまざまな現代病がでてくるのですね。。。

 

全てはつながっていて、いろんなことが関わりあって、

今のこういう状態になっているのだから、

何が悪で、何が善なのかはいえないけれど、

自分が意識するだけで、意識的になるだけで、

問題は問題じゃなくなると思えます。

難しいようで、実はものすごくシンプルなことなのかもしれません。

 

いじょう。