スペイン巡礼:【Day 1】St-Jean-Pied-de-Port → Roncesvalles (26.5km)
【5月20日(土)】
スペイン巡礼の初日の天気は曇り空。
とうとうスペイン巡礼で一番不安のピレネー越えの日の朝を迎えた。
おとついの大雨の日がピレネー越えじゃなくてよかった。
これさえ終わってくれたら後は楽だろうと思う。
私のスケジュール
- ペンションを早朝の5時にチェックアウト
- 巡礼のスタート地点であるノートルダム門まで歩く(約3km)
- 朝6時前から巡礼スタート
- 夕方までには目的地であるロンセスバーリェスのアルベルゲに到着したい
他の巡礼者達も歩いているだろうから道に迷うこともないだろう。
早朝5時は日の出前なのでペンションからヘッドライトを着けて歩くつもりだった。
ただでさえ今日は初日から長い距離を歩くのに、中心地から離れたペンションに宿泊したから他の巡礼者より3km多く歩かないといけない。
この日の為にバックパックを背負って近所の山を歩いたり、15km以上の距離を毎日歩いてトレーニングした。
退職して1ヶ月はほとんどトレーニングに費やした。
2013年に山歩きに目覚め、秋や春の気候のよい時期は関西の山へ気が向けば1人出かけていた。
私の山歩きの目的は、老いても元気でいられるようにと、自然の中で全てが浄化されるような気分を味わう為だった。
巡礼の初日を迎え、どう考えても自分の体力では毎日20kmを歩く力があるとは思えなかった。
「毎日」というのが恐ろしく不安だった。
「1日」は勢いで歩ききれるが、次の日はダウンして寝て過すのではないか。
巡礼のアルベルゲは連泊ができないというのに。
疲れ果てた時に限り、ペンションやホテル、他のアルベルゲが都合良く見つけられるのだろうか。
ホテルで宿泊するとその居心地の良さで、アルベルゲが嫌になってしまうのではないか。
ホテル泊で予算を大幅に越えたら巡礼後の旅でお金が使えなくなっては困るし。
出発前、トレーニングすれば少しずつ体力がつくのは実感できたが、
20kmという距離の壁が手強いということも思い知らされた。
他の人たちは年齢問わず25km、30kmを毎日歩くというのに・・・・
色々な不安や焦りを抱えながら、表向きは何とも思っていないかのようにサンジャンの街で2泊してゆっくり観光もした。
あとは何も考えずに頑張るつもりだった。
目の前の課題をクリアすることだけに集中しよう。
時差ボケで朝4時過ぎに目が覚めたので、前日に宿のマダムにお願いしていた朝食のパンを取りに行くと、マダムがいつものように朝食を並べて待ってくれていた。
私は前日、google翻訳でフランス語に訳したメモを彼女に見せながら、
「朝食はパンだけテーブルに置いておいてくれたらいい。5時に宿を出る」と伝えていた。その後で、彼女は私に一生懸命に何かをジェスチャーで伝えてきていた。
私は首をかしげたりしながら、彼女のフランス語とジェスチャーがわかったようなわからないような気がして、うなずくことができなかった。
彼女は真剣な表情で私に力強く何かを伝えていた。
ジェスチャーの意味が、当日の朝になって理解できた。
彼女は私の為に早めに朝食を用意し、朝食を食べ終わった私をノートルダム門まで車で送るつもりでいてくれたのだった。
そして ”ピレネー越えをするんだから、しっかり朝ご飯は食べて行きなさい”としきりにジェスチャーで訴えていたのだ。
フランス語がまったくわからない私には意味が通じていなかった。
口数は少ないけどとても優しいマダムだった。
車で送ってもらった後、
「メルシー」とお礼を伝え、車から降り、手を振って別れた。
またもしサンジャンのこの街に来ることができたら、迷わず彼女のペンションに宿泊すると思う。
階段を上って、ノートルダム門の手前まで来た。
ここから巡礼スタート!
すぐに歩き出した。
前方に巡礼者の団体がいた。
彼らはアメリカから学校のプログラムで来たようだった。
私が通り過ぎてしばらく時間がたったあと、彼らが追いついてきた。
「ハイ!どこからきたの?」
栗色のくせ毛でベリーショート、目の大きな可愛いティーンエイジャーの女の子が話しかけてきた。
Japanて答えたら「COOL!」て言った。お互いの自己紹介などを少しした。
十数名の彼ら全員にだんだんと追い越されていった。
私も同じペースでつられて歩こうとしていたら、いつの間にか汗がでてきて、インナーをどうしても脱ぎたくなった。
前後に誰もいないことを確認し、ザックを下ろしたあと、アウターとフリースと長袖シャツとインナーを急いで脱いだ。
インナーはザックの中に戻して、それ以外をまた着込み、何もなかったように歩き出した。
この一連の動作は、ほんの数分で終わった。
前を見て歩き出すが、先ほどのティーンエイジャーの団体が消えていた。
カーブを曲がっても、辺りを見回しても人の気配が全くない。
消えた!?
あの人たち、幻だったのだろうか。
アイルランドからきた女性とも挨拶した。
お互いの自己紹介やどこからきたかたずね合う。
Japanからって答えたら優しい笑顔の彼女が「LOVELY」って言った。
1人の韓国人のおじさんが英語で話しかけてくれた。
息子さんは日本の大学に留学中とのことだった。
2つに分かれる道のところで、「ルートはこっちだよ!」と教えてくれた。
こうやって巡礼する人たちと少し会話するだけで、ピレネー越えの不安がだいぶほぐれていった。
同じ目的の仲間がいるんだ。
日本からひとりで巡礼にきたけど、ひとりじゃないということが後になってわかる。
写真はあっという間に姿が見えなくなってしまったアメリカからきていた少年少女たち。
ロンセスバーリェスのアルベルゲで栗色ショートカットの女の子がいたので私より到着がだいぶ早かったようだ。
道で会った巡礼者の中で、その後も何度か会う人と、もう二度と会わなかった人たちがいる。
後に、私のスペイン巡礼は、人生そのものということがわかった。
縁があればしばらく一緒に時間を過ごす。
その時間の中で、お互い何かを思い、気づきがあったりする。
自分の感情と向き合い、自分を知る。
自分を知るために、相手がいてくれる。
相手もまた同じ。
本質を知る為に、皆が存在してくれている。
今となり、"なんだ、人生と同じだ"と振り返り、思うのでした。
天気が悪いため、すぐにポンチョを取り出せる様にしていた。
別の韓国のおじさんが写真を撮ってくれたり、キャンディをくれた。
この韓国のおじさんは5、6人で巡礼に来られていて、日本のメーカーで数年勤務されていたことがあり親切にしてくれた。
その後も数回、おじさんとは挨拶を交わしたけど、ピレネー越え以降、一度も会うことはなかった。
だんだん上り坂が急になってきた。
上り坂になると足取りが重い。
ペースは落ちて、後から来る巡礼者たちに追い抜かされて行く。
この坂道をみて、心が折れそうになる。
写真では伝えきれないけど、感動的だった。
動画です。
スタート地点から8kmの距離にOrissonという場所がある。
そこにアルベルゲ兼バルがあるらしい。
まだそこにすら到達していないのに、このしんどさ・・・
みんなと同じペースで歩けない。
動悸がしんどいんですけど・・・
運動不足と体力不足とトレーニング不足、全部です。
時々、後ろを振り返る。
自分が登ってきた道をみて、我に返る。
少しずつ標高が高くなっている。
やっと8km地点のOrissonのアルベルゲに到着した。
標高はまだ770m。
今日1日で、標高1410mまで上り、952mに降りたところのアルベルゲまでいかなければならない。
Orissonのバルでは、巡礼者たちは店員さんに昼食用のサンドイッチを作ってもらっていたり、テラスでカフェオレを飲んだりしていた。
先の道のりは長いので、のんびりしてる場合じゃないという空気感はあった。
今はまだ飲み物も食べものも口に入る余裕がない。
メニューにカフェオレ(1ユーロ)を見つけたので、椅子に座って休みたいのでメニューを指差し「カフェオレ」と言って注文した。
出て来たものは大きなサイズのカフェオレで「2ユーロ」と店員さんに強気で言われた。
面倒なので2ユーロを支払いカップを受け取った。
カップを持つ手は呼吸の乱れで震えている。
カフェオレは3口ほどしか喉を通らず、ぼーっとして少し疲れをとって店をでた。
それからカフェでオーダーする時は「ペケーニョ!Pequeño」(小さい)と言うようにした。
何も言わないと大きいサイズを出されて、飲みきれないのでもったいない。
雨が降ったりやんだり。
ポンチョを着て歩くけど、風でポンチョがめくれ上がる。
とにかく前へ歩く。
坂道を歩くだけで辛い。
ザックが重い。
私のザックの重さは、たかが5kgほどのはず。
それ以外の荷物は、サンジャンの街にある荷物転送サービスを利用し、目的地のアルベルゲへ転送済み。
後ろから「ボンジュール!」と笑顔で軽やかに歩いて行くフランス人チーム。
チームのリーダーと思われる先頭にいた背の高い初老のおじさんは、背筋がピンとしてて、長い足で歩幅も大きく、あっという間にみんな遠くに行ってしまった。
なんでこの道を、涼しい顔でそのペースで歩けるの??
私、何かが間違っているのだろうか・・・
上りの道は、ほとんどが舗装されていることもあり、トレイルランニングシューズのような靴の方がよかったんじゃないかと後で思う。
足首までガードされている登山靴は軽くて歩きやすかった。
おかげで捻挫予防にもなり、石でゴロゴロした道の上でも安定して歩くことができたのでそれはそれで正解だった。
ただ、この登山靴では上り坂道ではどうも足が思う様にあがらない。
長い・・・・
いつもの山歩きなら、下山しているはず・・・
いつまで続くの・・・この道。
あと何キロ? 今、何キロ?
こんなことばかりが頭に思い浮かぶ。
よけいにしんどくなるからこの頭の声を黙らせたい。
ヨガで習ったマントラを唱え始めた。
この辺りから私の左脳的思考が黙り始めた。
この上り坂をみて、半笑いになる。
こんなクレイジーな道を用意してくれていた巡礼という道、そしてピレネー山に完全に降伏するしかない。
笑いがこみ上げてくる。
左脳的な”不安”は通り越し、右脳優位な、わりと気分はHighのまま歩き続けた。
やっとフランスとスペインの国境地点!
なんとか進んでいるみたい。
マントラも効果を発揮してるのかもしれない。
ジュースなどを売っている車の出店があった。
15分だけ座って休憩し、ナッツや栄養バーを食べる。
巡礼手帳にスタンプを押してもらった。
となりにもフランスかイタリアからのチームの巡礼者達がいた。
お互い言葉は交わさないけど、労りあっている空気があった。
こんな天候で大変だよね、でもみんな頑張ってるね、というな感じ。
途中で挨拶したブラジルからきたおじさんとまたここで会えて声をかけてくれた。
おじさんは先にここまで来てたんだ。早いなあ・・・
私が歩き出そうとすると、近くの女性が私のポンチョを着るのを手伝ってくれた。
笑顔で「サンキュー」と伝えた。
こんな親切がとても嬉しかった。
元気を出してまた歩き出した。
頂上から下りになると、今までの景色とは一変し、林の中の道。
今までの木々がない道では、風を遮るものがないから雨風が横からも下からも吹いていたけど、ここは木々が守ってくれる神聖な空間へタイムスリップしたように思え、しばらく立ち止まった。
鳥たちの声も聞こえた。
鳥の声。動画です。
大好きな馬たちがいる。
でも馬にちょっかいを出すエネルギーもく、横目でみながら通り過ぎた。
終盤の、下りに入った頃から、天気はやっと晴れてきた。
下り坂も長くて、果てなしなく感じた。
男性の2人組と1人の女性がいて、しばらく一緒に歩いた。
ほとんどの人は急な下り坂の方の道を選んだようで、私たちはeasyの道を選んでいた。
4人とも黙々と歩いた。
私にはもう会話するエネルギーがほとんどなかった。
休憩のため座り込むと、もう足がガクガクして力が入らない程になっていた。
あともうちょっと、あともうちょっとと自分を励ましながら歩いた。
ゴールが近いと先に気持ちが緩んでしまい、もう足が言うことを聞いてくれなくなるほどだった。
15時。
出発してから9時間が経過していた。
とうとうゴールの修道院が見えて来た時は嬉しかった。
修道院に入るまでの道は、太陽の光が射して、小さな小川があり、草花が咲いていた。
蝶々まで飛んでいる。
天国に着いたのかと錯覚するほど。
小川に光が反射してキラキラしている。
普段なら見過ごしてしまいそうな景色も、過酷な道を長時間歩いた後は優しく出迎えてくれているようだった。
"もう大丈夫だ" フラフラになりながら吸い込まれる様に修道院に入って行った。
受付には、長蛇の列。
ザックを下ろし、私はしゃがみこんで列で待っていた。
ずっと懸念していた難関が終わった安堵感。
前後には韓国からきた若い女性の2人組や、イタリアからの親子などもいた。
この方たちとはベッドも近くなり、その後なんどか顔もあわせ、しゃべる機会があった。
プレハブのような簡易式のシャワールーム。
巡礼者が増えているため、増設したのかもしれない。
熱いお湯がでて、ホッとする。
シャワーを浴びてベッドで寝る頃には、ピレネー越えのしんどさなんてすっかり忘れていた。
ベッドの近くの人たちと挨拶し、たわいないおしゃべりをした。
明日もまた歩くだけ。
難しく考えることなんて必要なかった。
後になって思うのは、もっとシンプルに、もっと軽やかに、
物を持たずに歩けばよかっただけ。
物を持ち過ぎて、自分を苦しめていただけだった。
確かに持っていれば快適で便利だけど、なくても途中で買い足せる。
歩けば体温はちゃんと上がる。
”冷え性だし、寒すぎて風邪ひいたら嫌だから”と、着込んでいた。
それは日頃、運動をあまりしない日本での生活だから冷えるのであって、
毎日、長距離を歩けば代謝もあがる。
身体は時差や環境に順応していき、自分が思う以上に身体は強く、ずる賢い。
多少の負荷をかけてでも運動しないと、普段からアグレッシブに山などへ行かれている中高年の方々よりも体力なんてすぐなくなる。
身体が"この程度の運動量だから、この程度しか働かなくていい"とちゃんとわかるのだと思う。
体力は年齢じゃない。
日頃の運動量に比例する。
振り返れば反省点はいろいろあるけれど、
当時の私は、一番不安だったピレネー越えが無事に終わり、
気分は達成感の方が勝っていた。
【アルベルゲ】
・8ユーロ(地下室の狭く暗いドミトリーだったので料金は8ユーロだった。新しい部屋は10ユーロ。到着順で部屋が決められた。)
当時、ピレネー越えについて書いた日記です。