カミーノ:シャーリー・マクレーン

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「カミーノ読んだことある?読んだ?」とお友達に聞かれて、

なぜかものすごく読まなきゃいけないと感じた。

すぐにネットで本を購入して読んだ。

会社の同僚にも1度貸してあげたら、彼女もすぐに本を購入したという。

それから3年後、まさか自分がスペイン巡礼(カミーノ)を歩くことになるとは思ってなかったから、自分の人生ですら何をしだすかわからない。

 

シャーリーマクレーンがカミーノの道について述べている。

 

東洋哲学では、この地球上の霊的な生命の力は、プラナと呼ばれている。このプラナは太陽の生命力としっかりつながっており、すべての生命にエネルギーを与えている。

 この生命力は、レイ・ラインと呼ばれているエネルギーの線に沿っている場所では、特に強力だと言われている。これらのレイ・ラインは地球の霊気の基本構造を形作っている。

 

「レイ・ライン」という言葉は昔に読んだ「京都魔界巡礼」でみたことがある。

京都という都市は古代から風水に沿って意図的に作られており、伊勢神宮平安京と日室岳を結ぶ直線は太陽の道・レイラインといわれているらしく、そのスケールに感動したのを思い出した。

 

「京都魔界巡礼」でレイラインについて述べられている。

1921年イギリス人が発見。アーサー王伝説にまつわる遺跡や古代遺跡が規則正しく並んでいることに気づく。周辺に「レイ」(光線)とつく地名が多いのに着目し、聖地同士を結ぶ線が夏至の太陽を遥拝するものだということに気づいた。

 レイラインは世界中、日本各地にも多々見つかっている。日本ではカメラマン小川光三氏が発見。「古代太陽の道」を出版した。

 

レイライン - Wikipedia

 

 

シャーリーはさらに続ける。

 

レイラインのエネルギーは非常に高い波動を発しており、人の意識がこの高い波動に触れると、思考、体験、記憶が明晰になり啓示が起こるそうだ。

 レイラインのエネルギーは人間の脳を作っているエーテル体と物質の波動数を高める。このエネルギーの刺激によって、今まで抑圧されていた意識的な気づきや情報が、表面に表れてくるのだ。

 このエネルギーを受けた人は、良い意味でも悪い意味でも、霊的に敏感になるので、不安になったり、恐怖を感じたりすることもある。

 このレイラインは、太陽に関連した地球の霊的なエネルギーを帯びているばかりでなく、他の宇宙や星々に関連したエネルギーにもつながっている。

 地球のレイラインにつながっているカミーノは、フランスに始まり、ピレネー山脈を越えて、北スペインを東から西へと延び、サンチャゴ・デ・コンポステーラの世界的に有名で素晴らしい大聖堂まで達している。そこには聖ヤコブの遺骨が埋葬されているといわれている。

 

カミーノに興味を持ったのは、レイラインのエネルギーそのものと、800キロの道のりを徒歩で挑み、巡礼というものが要求している我とわが身をどうしようもない状態に追い込み、弱点をさらけだすということろにあった。神と自分自身に対して完全に降伏する体験をしたいというのが、カミーノを歩きたいというほとんどの人たちの動機なのである。  

 

カミーノの旅はどうして、巡礼者に自己認識させたり、自分の運命を理解させると言われているのだろうか?

 

道が何を捨てればいいか、教えてくれるわ。そして、その結果、あなたは謙虚な気持ちになれるの。自分の身体が本当に神殿であって、牢獄ではないことがわかって、自分の本質を発見するのよ。

 

あまり食べすぎずに、水をたくさん飲むように。

少なくとも1日に2リットル。

途中たくさんのすばらしいレストランがあるけれど、旅の趣旨の範囲を踏み外さないことが大切で、旅の目的は余分なことに目を向けないことだと言った。 

 

旅をする間、何も恐れることはないとも言われた。第一にスペイン政府がすべての巡礼者を手厚く保護し、巡礼の邪魔をする者は強く罰せられるからだ。途中でたくさんの人々と知り合うことになるが、一緒にならないで、単独で旅を続けることが大切だ、とも言われた。

 

 

何かを持っていても邪魔になるだけである。手放すことを学ばなければならない。そして、死ぬことさえ覚悟すべきである。

巡礼とは古い価値観を捨て去る用意が整ったということを意味しているからだ。

 

 

カミーノはあたなに過去と未来を見せてくれるの。

そして、あなたは今、何者であるかに気がつくのよ。

 

 

これらはシャーリーがカミーノを歩き始める前に、友達や知り合いから助言を受けた内容なども含まれる。

 

本の内容は、巡礼うんぬんよりも、

読んでいる間中、

なぜ彼女が過去世を思い出しながら歩いているのかとか、

まるでSFのようなイメージの世界が浮かんだりしたので、

そっちの読後感しかなかった。

読んだ後、巡礼を歩きたいなんて1ミリも思わなかったと思う。

 

この本はいろんな意味でヤバいのかもしれない。