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自分の心に平和がなければ、どこに平和があるの

こんにちは。ジョーです。

 

 

自分の心が平和で穏やかな状態だと、

身近な人たちや知らない人でも、

困っている人がいれば、親切にできたりする

それはなぜか

自分の心に余裕があるから。余裕とは、スペースともいう。

(スペースは、愛ともいう)

それが世界の平和につながる

 

 

こうゆう話や言葉を見聞きする。

 

たとえば、

  • 自分や他者がイライラしているとき
  • 不安や恐怖から、感情が高ぶって攻撃的になっているとき
  • なんで誰も自分のことを理解してくれないのか
  • なんでこの気持ちに共感してくれないのか
  • もっと他者から認められたい
  • こういうことは、こうすべきだろう。なぜそうならないのだ
  • こういうときは、こういうもんだ。なぜそうしないんだ
  • 自分が勝ちたい。人には優劣ってあるものだ
  • 不足感、分離感が半端ない。私はあなたとは違う。私は私だ
  • 左脳的に何でも無意識に判断してジャッジしまくっている
  • 人生は他者との戦いだ。競争だ。戦争だ。

 

こんなとき、誰かに優しくする余裕はあんまりないかもしれない。

自分の思い込み、

正しいと思っている常識、

幼いときからの考え方、躾、

社会のルールとされていることなど

そういう枠からはみ出たことや、予想外の出来事が起こると、

イライラっとしたり、

反感を覚えたり、

抗議したくなったり、

不安や恐怖から攻撃したくなったりするかもしれない。

だって、自分を確立している考え方やルールが、侵されてしまうかもしれない。

自分を支えているものや安心が、

社会の常識や外側の枠(物、お金、名誉など)にあてはめようと生きているなら、

よけいに、恐怖を感じるかもしれない。

人生の根本を、物、お金、地位、他者からの評価などに依存している人生であればあるほど恐怖は大きいかもしれない。

なぜなら、それは確実に無くなるものでもあるから。

永遠にあるものでなく儚いものであるから。

それをちゃんと知っているから、執着につながりやすいのかもしれない。

何が何でも、自分は強いと証明しようとする。

攻撃されまいと、威嚇する。

お金を守ろうとする。

地位を守ろうとする。誰かに守ってもらおうとする。

ありのままの自分、裸の自分が、どうなのかわからないから。

弱い犬ほどよく吠える。

 

 

もしも、そういう状態であるのなら、

誰かに優しくしなくてもいいから、

誰かに親切にしなくてもいいから、

まず何よりも一番に、自分に優しく、愛をもって、癒して、労ってあげる

自分の身体を、

自分の心を、

傷ついた感情を、

押さえ込んだ悲しみを、

忘れようとしている辛い記憶を、

身近な人や他者から受けた心ない言葉や暴力を

身近な人や他者から受けたひどい仕打ちを・・・・・

 

どこかで引きずっているのに、

見ないようにして、奥深くの引き出しにしまい込んで、

何もなかったように思い込んでいるかもしれない。

無意識の領域に入れてしまっていて、自覚がないかもしれない。

癒されないその傷は、癒されるまで、膿んでいる。

知らずしらず体を、心を蝕んでいくかもしれない。

 

 

心の傷や悲しみに向き合わないように、

無意識に、

働き続けたり、

食べ続けたり、

自分を痛め続けたり、

誰かを非難し続けたり、誰かを批判し続けたり、

気づいたら、病気になっていたりするかもしれない。

 

 

自分を癒さなければ、人に優しくできない。

病気で寝たきりの時に、体が元気で健康な人が困っていても、助けられない。

 

心と体はつながっている

 

心も体も穏やかに、健やかに過したい。

 

自分自身をみつめてみる。自分のパターンを振り返ってみる。

 

  • 自分は何にストレスを感じているのか。
  • いつもどういうパターンで、どういう感情がでてくる癖があるのか。
  • いつもどういうシーンで、イライラするのか。
  • いつもどういう時に、怒りがでるのか。
  • いつもどんなシーンで、涙がでやすいのか。

 

 

イライラしたときに

「あれ、今、イライラしているよね。どうしてだろう」と理由や原因を探してみる。

 

たとえば、怒りの感情がでてきた、ムカ!っとしたとき、

「むかついた。この出来事に。ちくしょう。許せない。やり返してやる!」

と、一時的な自分の怒りの感情にまかせるままに反応するのか、

 

それとも、

「なぜあの人はそういうことするんだろう。ひょっとして、あの人だけではない理由があるのかもしれない。あの人も苦しんでいるのか?。あの人も精一杯なのか?。意地悪でしようとしたわけではないのかもしれない」と冷静に相手の立場になって考えてみる。

 

誰かに聞いてもらうだけでも、癒されたりする。

 

「やられたら、やりかえす」って、いつ終わりがくるの。

許すことは大変難しい。

そこを試されているのかもしれない。

やりかえせたとしても、別のシーンで、仕打ちが回り回ってきたりする。

その無限のループから抜け出すには、許すしかないと思う。

 

わたしたちは、海の海水のようにつながっている存在だったということをすっかり忘れて、水滴の一粒のように、周りとは分離している存在として認識してしまう。

誰も何もかも、分離などしていない世界、境界のない世界だったところから、

人間として生まれて、成長して、寿命がくれば死んでいく。肉体はなくなる。

でも魂は死なない。

そんなことは、生きているうちは、わからない。

記憶がリセットされ、すべての記憶が消されて生まれてくるものだから。

過去に何十回も、何百回も、違う国で、違う性別で、違う人種で、違う文化で生きた人生があるのに、記憶がリセットされて生まれてくるのだから。

 本人が覚えてないから、有り得ない話の世界になる。

インディアンだった人生も、中国人だったときも、インド人の人生もあったかもしれない。

生まれてすぐ死んだ人生、殺された人生、誰かを殺した人生もあったかもしれない。

今のこの人生だけで、優劣を判断して、損得を判断しても、寿命はひとそれぞれであっという間。

もっと魂のレベルで人生をとらえてみると、スペース、時間の概念が広がる。

 

 

私はかなりの鈍感でして、(地震がきているのに気づかないとか)、

霊感や霊能力のようなサイキックな特技も何もない。

でも、世の中には、歩いている街で突然、過去世を思い出したり、夢で見たり、インスピレーションでわかったり、鋭い人って多いと思う。

 

 

自分とは、肉体ではない。感情でもない。思考でもない。

自分とは、永遠不滅のエネルギー、魂、意識。

 

と何かで見聞きする。

 

死んでもまた生まれ変わる。

生まれ変わったところが、戦争ばかりの国だったら、非常に辛い。

生まれ変わったところが、家庭内での争いばかりだったら、悲しい。

人と人との争いは、実は、国と国の戦争を始める動機とそう変わらないのかもしれない。

 

 

自分が嫌なことは、相手にしない。

小学校で習った。

それを忘れてしまうときがある。

あかんものは、あかん。

「あ、わたし、今、イラついた」

「あ、わたし、今、ムカついたで!」と気づく。

毎回、毎回、気づいてみる。

気づいたら、深呼吸する。

それは、一時的な感情であって、あなた自身ではない。

イラついたのは、一時的な感情です。

ムカついたのは、単なる一時的な感情にすぎない。

怒り狂ってしまって、怒り自体に乗っ取られて、感情に支配されて、エゴに飲み込まれている状態は、何をしでかすかわかりません。拳銃もってたら、ぶっ放してしまいそうな勢いです。

それがいけないことは、3歳の子供もわかる。

犬もわかる(犬は暴力的である人から被害者をとっさに守ろうとする本能があるようだ)

だけど、感情に支配されてしまうと、何も見えなくなる。

冷静に考えられなくなる。

これが一番よくないことなんじゃないかと思う。

 

「あ、怒りがこんなにでてきている」と気づいて、深呼吸。

 

今はまずしい人生と思っているかもしれない。でも、好きな人が誰か1人でもいるのでは。

今はまずしい人生と思っているかもしれない。でも、過去世では富豪の時もあったかも。

今の人生だけで、自分の外側にある物、お金、名誉で全てを判断するなんて、ナンセンスなのではないかと思うようになった。

今の世間のモノサシにあてはまろうとしても、幸せは一時的なものしか得られない。

開き直って、そんな妄想も、癒しになるときがある。

 

 

本当の幸せは、自分の内側から沸き起こるもの。

その答えは自分の中にあるという。

自分で掘り起こして、探していく。

自分の内側を見つめる。

見たくない感情や思考や記憶が、出てくるかもしれない。

だから、自分を見つめずに、他者を批判したり非難して、見ないようにしていたい。

でも、いつまでも幸せ、幸福感が続かないのは、

本当に自分を見つめてないからなのかもしれない。

 

他者を批判、非難するのは、そこに反応している自分がいる。

結局、自分の何かがそれに反応しているから、そこに何かの答えがある。

自分を知るきっかけにつながるかもしれない。

 

反対に、他者の長所やいいところに気づき、いい人だなあと感心するとする。

それは、自分にもその同じ長所やいいところがあるから、気づけるそうです。

自分にその要素がなければ、気づけない。

 そういう法則らしいです。

 

誰かの嫌だと思うことは、どういうところですか?

残念ながら、それは自分もその要素があるという事実らしいです。

認めたくないけれど、ひとは自分をわかってないことが多すぎるのかもしれない。

 

だから、幸せになる為には、自分の心が平和になるには、

自分を知ることが大切なのか。。。

勇気をもって、自分自身の奥を、心の中を、内側を、

掘り起こしていくことかもしれない。

 

あらたまって向き合う時間もないし、持ちたくない。

蓋したものが出てくるのを無意識に知っていて、怖いのかもしれない。

だから、自分に向き合わないように生きてしまう。

過去世からのトラウマだっていっぱいあるだろう。

1回や2回の人生で癒されてたら、そんな簡単なことだったら、今、ここに生まれて来てないだろうし。

 

好きなこと、楽しいこと、趣味などをしていると、知らない間に、癒されていたりする。

生きててよかったと思えたりする。

 

あれ? 許せるような寛大さが、スペースが

数年前の自分より、大きくなっている自分に気づいたりする。

 

何者にならなくてもよくて、

ありのままのあなたは十分に完璧で、完全な存在である。

 

そういうものらしいです。

 

まだまだ、人生の学びはつづくんでしょうか

来世の、その次の来世も、ある程度は決まっているらしいです。

 

病気は、偶発的になる人と、

生まれる前に、病気になることを決めて生まれて来ている人がいるらしいです。

 

そうであれば、事故などもそうですか。

偶発的に事故に遭う人と、

事故に遭うと決めて生まれて来ている人。

 

辛い体験や経験を積んでいる方、それは、お役目があるとも受け取れます。

魂が強い人ではないと、乗り越えられないというのもあると思います。

 

他人の今の人生が、自分より恵まれているように見えるときがあるとする。

でも今生だけでは、何もわからないし。

誰にもわからない。

だから他人と比べて、一喜一憂しても、

ポジティブな方向へそのエネルギーを使えないなら、気にしない方がいいかもしれない。

 

自分の幸せは、自分にしかわからない。

 

わたしたちは自分である程度、決めて生まれて来ている。

無意識にみんな知っているんだと思います。

 

来世はすぐそこにあるのだから

今を意識的に生きる。今を大切にしたい。

この人生をかけがえのない人生として受け入れる。

この巡り合わせを、ありがとうと感じたい。

 

読んで頂きありがとうございました。

 

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